最高裁判所第一小法廷 昭和41年(オ)802号 判決 1971年12月16日
上告人
日比野信夫
代理人
竹下伝吉
山田利輔
被上告人
森晟
代理人
入谷規一
高野国雄
磯村義利
主文
原判決中、被上告人の上告人に対する一五〇万円の損害賠償反訴請求に関する部分および原判決別紙(二)第三目録記載の建物のうち、同第一目録第二記載の仮換地五番上にある部分(同別紙(二)図面中イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、イの各点を順次直線で結んだ線によつて囲まれた部分)を収去し右仮換地の明渡しを求める反訴請求に関する部分を破棄し、右破棄部分につき本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
上告人のその余の上告を棄却する。
前項の部分に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人山田利輔の上告理由ならびに同竹下伝吉の上告理由第一、第二点および第四点について。
原判決の趣旨とするところは、要するに、数個の不動産を売買契約の目的とした場合において、代金債務の一部に不履行があることを理由として右売買契約の全部を解除しようとするときには、売主は未払代金に相当する土地の部分についてだけ契約を解除するのでは結局その契約をした目的を達することができない特段の事情のあることを主張、立証することを要し、右の特段の事情の主張、立証がなされないかぎり、契約の全部を解除することは許されない、とする見解に立ち、本件の場合には上告人はかかる特段の事情を立証していないから本件契約の全部を解除することはできないとしたものと解することができる。してみれば、原判決は、上告人の主張、立証をもつてしては、本件売買契約の全部の解除を認めるに十分でないとして上告人の解除の主張を排斥したものにすぎないから、その認定判断にはなんら弁論主義に違反するところはないものといわなければならない。
ところで、原判決の確定するところによれば、本件売買契約の目的となつた土地のうち原判決別紙(二)第一目録記載の土地(以下「第一目録記載の土地」という。)は、その仮換地において面積一七五坪六勺、公道に面する間口一〇間を有するのに対して、同第二目録記載の土地(以下「第二目録記載の土地」という。)は、五七坪六合九勺の面積を有するけれども間口は僅か四間にすぎない細長い土地であることが明らかである。したがつて、右第二目録記載の土地についてのみ契約を解除することが許されるにすぎないものとするときは、一団の土地が利用上所有者を異にする二個の土地に分離される結果、そのことだけでも右第二目録記載の土地の利用価値が相当減少することが予測されるのであつて、このような事情もまた、上告人において第一目録記載の土地の代金の支払を得ただけでは本件売買契約を締結した実質的目的を達することができるとはいえない事情として斟酌しうるものであり、たんに、原判示のように、本件土地を全体として不可分の給付の目的とする特約が認められないというだけでは、いまだもつて右特段の事情が存しないと断定する理由とするに足りない。
もつとも、本件において、上告人が前記特段の事情の存在を明確に主張した形跡は認められないのであるが、上告人の契約解除の効力が第一目録記載の土地にも及ぶことは、右土地についての所有権移転登記抹消登記手続請求が認められる前提となるものであり、上告人が第一審以来主要な争点として強調して来たところであるから、原審が前記のような見解に基づいて上告人の主張を排斥しようとするならば、上告人に対して特段の事情の主張、立証を尽くさせたうえその採否を明らかにすべきであつて、この点の釈明を尽くすことなく、卒然として前記見解のもとに上告人の主張を排斥した原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるものといわざるをえない。
しかし、所論は、上告人のした契約の解除が有効であることを前提にするものであるが、原判決の引用する第一審判決は、上告人の主張する契約の解除の時期において、被上告人が自己の負担する代金債務について遅滞に陥つたものでないことを理由に上告人主張の契約の解除はその効力を生じなかつたものとして、上告人の主張を排斥しているのであつて、原審の確定する事実関係のもとにおいては、右判断は是認するに足りるものである。してみれば、本件売買契約の全部につき解除をすることが許されるか否かに関する原審の判断の当否は、原判決の結論に影響を及ぼさないものといわなければならない。それゆえ、論旨は、結局、理由なきに帰するので、排斥を免れない。
上告代理人山田利輔の上告理由(二)および同竹下伝吉の上告理由第一一点について。
原審および第一審に関する当事者双方の主張とこれに対応する原判決および第一審判決の判断とを彼比対照し、仔細に検討すれば、第一審判決理由欄の説示中、原判決が引用すべきものとした部分は、おのずから明らかであるから、いまだ原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は採用することができない。
上告代理人山田利輔の上告理由(三)および同竹下伝吉の上告理由第三点について。
第一目録記載の土地に対する売買契約の解除の許否に関する原判決の判断の当否を争う所論の理由がないことは、上告代理人山田利輔の上告理由(一)ならびに同竹下伝吉の上告理由第一、第二点および第四点に対して説示したとおりである。なお、原判決が第一審判決を引用して第二目録記載の土地に対する関係においても契約解除の効力を判断していることは、前叙のとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨はすべて採用することができない。
上告代理人竹下伝吉の上告理由第五点について。
論旨の指摘する原判決の説示は、原審において上告人の援用した原判決挙示の証拠は、その引用にかかる第一審判決の認定判断および原審の認定判断を左右し、または、上告人自身の主張を支持する証拠となりえないものとしてこれを排斥する趣旨を示したものであつて、その判断は是認するに足りるところである。その他、原判決にはなんら所論の違法は認められず、論旨は採用することができない。
同第六点について。
売買契約の売主は買主に対して目的物の引渡義務を負うが、土地の売買において、右引渡しにつき売主の格別の行為を必要とすべき事情がない場合には、特段の事情のないかぎり、売主において所有権移転登記義務を履行し、また買主において代金の支払を完了した以上、すでに目的土地の引渡義務も履行されたものと解するのが相当である。本件において原審の確定したところによれば、第一目録記載の土地についてはすでに所有権移転登記手続および代金の支払が完了し、しかも、右土地のうち原判示六番の土地は原判決別紙(二)第三目録記載の建物(以下「第三目録記載の建物」という。)の敷地となつていなかつたというのであるから、原判決が確定した第一、第二目録記載の各土地に関する売買契約の経緯、右第三目録記載の建物の収去に関する約定の内容等を併せ考えれば、すくなくも右六番の土地は、昭和三一年一二月一九日当時、被上告人に対し引渡しがなされていたものというべきである。そして、被上告人が右日時以降上告人により右土地の使用を妨げられてその使用収益ができなくなつた旨の原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係により是認できないものではない。
してみれば、右と同旨の見解を前提として被上告人の損害賠償請求を認容した原審の判断は正当である。論旨は採用することができない。
同第七点について
原判示六番の土地がすでに上告人から被上告人に引き渡されていたものと解すべきことは、上告代理人竹下伝吉の上告理由第六点に対して説示したところである。原判決が右土地が仮処分決定の執行当時は空地であつた旨の説示をしたのも、原判決別紙(二)第四目録記載の建物が建築される前、すでに右土地部分は被上告人に対して引き渡されていたことを判示した趣旨と解される。原判決にはいまだ所論の違法があるとは認められず、論旨は採用することができない。
同第九点および第一〇点について。
原判決が上告人のした売買契約解除の主張について第一審判決に関する理由中の判断を引用することにより、その効力を否定すべきことを明らかにしたうえ、被上告人の反訴請求について判断を加え、被上告人のした契約解除の効力を肯定したものであることは、その判文に照らして明らかである。そして、上告人のした契約解除の効力を否定した右第一審判決の判断が是認できることは、すでに説示したとおりであり、上告人の原審における所論主張の内容に照らすと、原判決が右判断を引用するにとどめ、あらためて原審における上告人の右主張について判断を加えなかつたからといつて、原判決に所論の違法を生ずるものではない。論旨は採用することができない。
同第一二点および同第一三点について。
原判決が引用した第一審判決理由中の説示は、上告人が原審で補充して主張した原判決事実欄(甲)(一)の一項ないし九項および一〇項の各契約解除の主張に対する判断としてもなお正当として是認することができ、その間、なんら所論判断遺脱の違法はない。
つぎに、原判決およびその引用する第一審判決が、上告人の主張にかかる本訴状の送達をもつてした本件各土地に関する売買契約の解除の主張について判断を示していないと解すべきことは、所論指摘のとおりである。したがつて、原判決には所論判断遺脱の違法があるといわなければならない。
ところで、上告人は、右訴状による契約解除の意思表示をするにあたり、被上告人に対し自己の債務について履行の提供をしたことを明らかに主張した形跡は記録上認められないが、その主張の態様に照らせば、上告人が昭和三一年一二月九日から三日間にわたつてなし、またさらに、同月一五日にあらためてなしたと主張している履行の提供をもつて、右解除の意思表示の前提たる履行の提供にあたるものと主張する趣旨と解するほかはない。しかしながら、右の履行の提供によつて被上告人が遅滞に陥ることがなかつたことは、原判決の引用する第一審判決が判示するところであり、その判断が正当なこともすでに説示したとおりである。それゆえ、上告人の右解除の主張は他の点につき審理するまでもなく失当であるというほかはない。してみれば、原判決のおかした判断遺脱の違法は、原判決の結論に影響を及ぼさないものというべきであるから、右の点の違法をいう論旨も、結局、理由なきに帰し、採用することができない。
同第一四点および第一五点について。
原審の確定した事実関係によれば、上告人と被上告人との間で、昭和三一年三月三〇日、上告人は同年一二月末日までに第一目録記載の土地上にある第三目録記載の建物を収去することおよび上告人において右期限までに右建物を収去しないときは右建物の所有権は被上告人に移転する旨を約したというのである。してみると、上告人は右合意の成立の日から右建物を収去する義務を負担していたことは明らかであつて、前記約定の期限の到来までは被上告人において右義務の履行を請求することができなかつたにすぎないのである。それゆえ、第一審判決が、所論のように、右収去期限の到来前に上告人に建物収去義務が現実に存在する旨の説示をしたからといつて、所論の違法があるとは解されない。論旨は、いずれも採用することができない。
同第一六点について。
所論の点に関する原審の事実認定は、その引用にかかる第一審判決挙示の証拠によつて是認することができる。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を争うものにすぎない。また、右第一審判決が、上告人所説の如き債務不履行の廉はない、と判示したのは、その説示のような理由により、被上告人は履行遅滞の責を負うものでないことを判示した趣旨であることが明らかであり、その判断の正当なことはすでに説示したとおりである。論旨は採用することができない。
同第一八点について。
原判決の引用する第一審判決のした所論の判断は、被上告人において第三目録記載の建物の収去に代えて右建物の所有権を取得することが必ずしも被上告人の利益とのみなるものでないことを事例を挙げて説示したものであるにとどまるから、なんら弁論主義に違背するものではない。その余の所論が理由のないものであることは、すでに他の論旨に対して説示したとおりであり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第一七点について。
原判決は、本件売買契約のうち第二目録記載の土地に対する関係で被上告人のした、履行不能を理由とする契約解除の効力を判断するにつき、昭和三一年三月三一日、被上告人において上告人から附記による権利移転の登記を受けた右第二目録記載の土地についての訴外長谷川佐吉を登記義務者とする所有権移転請求権保全の仮登記が原因を欠く登記であつたこと、その後、同年一二月一八日、上告人は、右土地について長谷川から売買を原因とする所有権移転登記を受けたが、同三二年三月二三日、訴外村上正一に対し右土地について売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記をしたこと、以上の事実を確定したうえ、被上告人としては、自己に移転を受けた前記仮登記により代金の支払と引き換えに長谷川に対し本登記手続を請求することができないばかりでなく、上告人が、被上告人に対し本件売買契約の解除の効力を主張して履行拒絶の意思を示し、また、村上に対して右売買予約を原因とする仮登記をしたことからみれば、上告人に対しても所有権移転登記を求めることができず、さらに、村上に対しても自己の仮登記による順位保全の効力を主張できない結果、被上告人は右土地について所有権を取得することができないことになつた、との判断を示して、被上告人のした右解除の効力を認めている。
しかしながら、右事実関係によれば、被上告人は、長谷川に対して自己の有する仮登記に基づく本登記手続を請求することができないことは原判示のとおりであるとしても、長谷川から所有権移転登記を受けて現に登記名義人となつている上告人に対して本件売買契約の効果として所有権移転登記手続の履行を求めうることについてはこれを否定すべきなんらの理由も存しないのである。また、村上に対して売買予約を原因として仮登記がなされたというだけでは、いまだ上告人の被上告人に対する売買契約上の義務の履行が不能になつたと解することはできない。けだし、村上の有する仮登記に基づいて本登記がなされたのであれば格別、仮登記の状態にあるかぎり被上告人が上告人に対して所有権移転登記を求めるについて支障とならないだけではなく、右村上の仮登記は後日抹消されることがないとはいえず、もし抹消されたときは被上告人は完全な所有権を取得しうるからである(最高裁判所昭和三〇年(オ)第七二〇号、同三五年四月二一日第一小法廷判決、民集一四巻六号九三〇頁、同昭和四四年(オ)第一八〇号、同年五月二七日第三小法廷判決、裁判集民事九五号四一五頁参照)。
してみれば、前示の事実関係のみに基づいて、被上告人は右土地についての所有権を取得することができないこととなつた旨の判断を示し、被上告人の履行不能による契約解除の主張を採用した原判決は、民法五四三条の解釈適用を誤つた違法があるというべきであつて、同旨をいうに帰する論旨は理由がある。
よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決中、被上告人のした契約の解除の有効なことを前提として、一五〇万円の違約金反訴請求を認容した部分および原判決別紙(二)第三目録記載の建物のうち、同第一目録第二記載の仮換地五番上にある部分(同別紙(二)図面中イ、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、イの各点を順次直線で結んだ線によつて囲まれた部分)を収去し右仮換地の明渡しを求める反訴請求を認容した部分を破棄し、右部分につき本件を原審に差し戻し、その余の部分に対する上告を棄却することとし、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条に則り、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(下田武三 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一)